インクと爪跡

不器用にあつめた刹那の花束

短編「M」

M

 

 

 尾てい骨から背筋の反り目にかけて微弱な痺れが伝った。腹を殴る圧迫感、へそから指一本分下の位置に気泡を立てるむず痒さが、心臓の指令を破壊させ吐き気のような苦しみを波打たせる。質量のない涙は空虚、それを浮き上がらせた熱いこめかみははて、どこに繋がっているのか。突いて押し込まれた一瞬に、こまかな神経も含めた全身が、揺れる机に置いた一輪挿しのようにカタカタと抗わずとも震え続けた。

 樹邑は乾きを嚥下し喉仏を落とした。茅子はその柔らかな動きが化石のように固くなるのを眺め続けて、重たい視線を放り投げた。先には生活の排泄物が多く溜まったゴミ箱があり、まぶたを閉じる理由には満点であったのでそのようにした。しっとり濡れて薄れる暗闇は感触の想像し易い輪郭を次々と掠めて平たくしていく。睫毛が微かな明るみを眼球に押しこめて、眉間が引っ張られる。しかし意識の投擲までもが許されるはずなく、樹邑は関節を解いて身体を崩した。茅子は喘ぎを離して目尻を上げた。

 機械さながらの調子で二回三回。熱い手が冷えた肩を掴み、湿った吐息が乾いた上唇に絡まり、厚い踵が平たい甲に重なって世界が回転する。皮膚が触れて肌が溶け合い、あとは描写のまにまにと無い、快感の稲妻と本能に従った行為のフィルム・ロール。右の心臓が内蔵された鼓動よりもずっと速いと思い、二人は同じ口角を作った。そうしてやや左に寄せていた頬を互いに前に向けた。

 とっさに閉じる口元に甘噛みする歯。やや引いた腰を抱き寄せる脚。攻防はゆるやかに停滞して、忘れかけていた手のひらを貪る。顎が外れる感覚を持って、樹邑は茅子に愛を吐き出したかった。いつでも折れそうな指をしっかりと握り締めたら。想いを満面に湛え目を開けて、見下ろした茅子が泣いていると気付いた。

 

「どうした」

「どこにもいかないでね」

 

 生糸は青黒く光って隆起を縫合し、膨らんだむくみに収斂したしわを影にして浮き彫りになった。微笑みに溢れた涙の線は、落ちる行方に迷っていた。間を置かない言葉が夜に染み渡る。樹邑はいつまでも、輝きと滑りの位置がわからない滴を見ていたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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