インクと爪跡

不器用にあつめた刹那の花束

2021-01-01から1年間の記事一覧

短編「枝葉に落つ」

枝葉に落つ 生まれた時には翠の色みを湛えていたその両眼は、若芽を飛び、竹藪を走り縫い、雨蛙の曲線を睨んでは、より濃度を深めていった。それら自然の万緑の彩は、はじめ穏やかにヨクの身体を包み込み、撫でるように遊びを教え、いつしか愛しき友となった…

短編連載「野花の棘」第一話

野花の棘 一 薄雲がたなびく柔らかな青の地平線には嶮岨な山々の連なりが観え始め、間隙のない静かな住宅街はまばらに影を伸ばし田園へと変わった。鏡はずいぶん前に本を綴じて、その光景が隅々まで広がっていく様子を、車窓越しに眺めていた。日差しが遠の…

「令和3年8月15日」

令和3年8月15日 軽やかな足取りで跳躍を繰り返して、すべるつま先は重い亀裂を走らせ、押し込んだかかとは涼やかな波紋を震え起こす、この気候は一体どこからいらしたの?肌を撫でる繊細な風は赤ん坊のように無知な暴力性を持って、けれど老婆の腕そっくりな…

短編「比喩」

比喩 大地図をなぞり峻険に聳え立った想像よりも、だいぶ平坦な地が広がっていた。駅舎から急坂を降れば田園が土壌の滑らかな色を明瞭に、きよい空に晒されている。視界いっぱいに、自然の鮮烈な生肌。諒太は肩から落ちそうなリュック・サックを背負い直し、…

短編「記憶」

記憶 すくい上げた一杯の水は、指の隙間から残らずこぼれ落ちて水面という景色に戻った。手のひらはすぐに乾いて、震え、しかし此処に置いて行かれたという虚しさはない。あれは、自分にとって特別な存在ではなかった。偶然に触れ合って、すれ違った。三野は…

短編「その目に映る」

その目に映る 汽笛がけたたましく耳を劈き、衝撃に驚いて覚醒した。自然体な流れで車窓の下に溢した視線が、肥った腕を振り回す少女の横顔をとらえる。嗚呼、成る程。と、江見は思い、発作的な感情を忘れた。読みかけだった文庫本を鞄に仕舞い、あの気怠げな…

着こみ過ぎた服はいつの間にか全て脱げていて、僕は裸になっていた。夜更けのことであったが、月がどのような形をしていて、静寂がどのように浮遊していて、愛する者がどのような表情をしていたのか知らない。服は本当に、一枚ずつ脱いだのではなく、また引…

インクと爪跡 今後について

「インクと爪跡」管理人、作家の増山傍です。 本日三月三日より、更新頻度や作風などを刷新します。更新は、毎月五と十の付く日に今まで通り新作の短編小説を上げて参ります。 そして作風、作品の理念は下記を目標にし、より美しく素晴らしい藝術としての小…

短編「ぬるい雨」

短編「ぬるい雨」 新緑はしとど降る細雨に濁りを含ませ沈殿していた。大樹の枝先から零れる大粒のふくらみが、木々の葉から滴る小刻みなまるみが、帆のように浮かび漂う影を濡らす。憂鬱な光とともに遊ぶ風を湿らす。太い幹も細い幹も、肥えた土も泥濘もみな…

短編「窃盗犯」

短編「窃盗犯」 左足を強く打ちつけたが愚図ついている場合ではない。信乃は大股を開いて地面に手を付き体勢を整えると、すぐに下り道を疾走した。ワイドを映していたテレビの大音量が耳朶を揺らす、心拍を脅かす。呼吸が切れ切れになってそれが耳からとれて…

短編「明星」

短編「明星」 天井に穴を開けようと試みたが、脚立に乗っても手はおろか、針の先端さえ届かなかった。桃子は慎重に床に足を着き、母の裁縫箱に針をそっと戻して、自分の胸の辺りまで高さがある重い脚立を物置まで必死に引きずりながら、さて次はどうしようか…

厳選・短編八作品

ご閲覧ありがとうございます。 今まで書いた小説を厳選し、短編八作品を選びました。これを押さえておけばだいたい僕の作風を知れます笑。 では、お好きなものから、ごゆっくりどうぞ。 1 短編「早朝」 2 短編「十五」 3 短編「時間」 4 短編「新湯」 5 短編…

短編「純真」

短編「純真」 いつの間に太くなって、いつの間にひび割れてしまったのだろう。男はベンチに座り、自分の指をさすりながらそう思った。五本の先端はどれも白く硬化し、関節には赤い筋がいくつも刻まれている。こんなに酷くなるまで、一体何があったのか、全く…

短編「目糞」

短編「目糞」 駐車場から坂の上を振り向けば、連なる山々には煙雨が立っている。雲の流れに沿ってひだ状に濃淡を織りなす自然の陰影は、明るさがなくともくっきり見える。頂は薄暗く、すべり落ちるほど鮮やかに爛れる。ジャンパーのポケットに片手を突っ込み…

短編「夢寐」

短編「夢寐」 揺蕩う意識の水面に重たい石の嘆息を落とし、浮かび上がってきた泡沫の声。隼は純白のシーツをこぶしの影で汚していることに気付かない様子で、掴む力をいっそう強くし鼻を鳴らした。ブタみたい、と頼子は思った。実際、呟いたらなにもかもが消…

短編「令和」

短編「令和」 風に舞う桜の花弁を追いかけた野良猫が、立ち止まった先はバス停だった。やがて軽やかな一台が跳ねてきて、親切な運転手は停車をした。 「お客様~、ご乗車しませんか」 野良猫は大きな声のアナウンスに驚いて、近くの茂みに隠れた。そしてバス…