インクと爪跡

不器用にあつめた刹那の花束

短編連載「野花の棘」第一話

野花の棘 一


 薄雲がたなびく柔らかな青の地平線には嶮岨な山々の連なりが観え始め、間隙のない静かな住宅街はまばらに影を伸ばし田園へと変わった。鏡はずいぶん前に本を綴じて、その光景が隅々まで広がっていく様子を、車窓越しに眺めていた。日差しが遠のいて、空が近づいて、世界がひらけていく。見つめる先には晩夏の照りに青黒く燻された頂が、高く高くのけ反っていた。
 日だまりが群れて濃淡をくっきりと現し、まだ未熟な色をした黄金のふさを、まだらに輝かせている。その光沢は列車が加速するに連れて、霞みの山の麓まで伸びていくのだった。田園は遠くまでその色を暈さず、時どき囲われた墓地、家屋、杉林と鳥居を、護るようにして動かない。目に映るものすべてが新鮮な血流を脈打って、鏡の瞳を離さなかった。そして緊張が勇気に変わってきた頃、一番に心惹かれた、ビニールハウスと稲田が交互に敷き詰められた何もない平地に、降りようと決めた。
 ホームは一つ、線路に沿って真っ直ぐに伸びていた。階段を登り、連絡通路の金網を振り向けば、荘厳な尾根伝いに低い雲が沈んでいる。吹き抜ける風は生ぬるい中に涼やかさがあって、不思議な心地がした。しばらくそこで立っていたが、鏡を抜かす利用者は一人もなかった。