インクと爪跡

不器用にあつめた刹那の花束

2022-01-01から1年間の記事一覧

短編「M」

M 尾てい骨から背筋の反り目にかけて微弱な痺れが伝った。腹を殴る圧迫感、へそから指一本分下の位置に気泡を立てるむず痒さが、心臓の指令を破壊させ吐き気のような苦しみを波打たせる。質量のない涙は空虚、それを浮き上がらせた熱いこめかみははて、どこ…

現実を疑わない

愚直な言葉を使えば、辛酸を嘗める日々が続いていた。でも何故か、今晩はとても気分が良い。理由は考えないし、この気分にラベルは貼らない。そして何より、現状を疑わない。伝えたいことだけを率直に書けば、じゃあ、僕という作家志望の今後の展望。 幸福を…

短編「キナラ」

キナラ 日が沈めばせめて掴むものをと。もがきながら指先を広げ両腕を振り回す。しかし虚空に誘われるなら体幹を忘れ、自我をも忘れて哀れに転ぶ。そうして子供も大人も一様に泣くのだ、叫びながら、わずかに触れたことのある、温かな手を希いながら。 その…

落書き「描写」

描写 懐に死んでいた煙草をつまみ上げて地面に投げ捨てた。貰い物である。誰もいない岸辺で一緒にいかだを作った男がくれた。フェロの何倍も手際良く働いて、ほとんどの材料を拵えてくれた。出来上がったものは今もまだあの岸辺にあるかもしれない。だが、煙…

短編「狐の嫁入り」

狐の嫁入り 高低不ぞろいの苔むす石段も、その隙間に膨れていた山蛭の死体も、儼乎な威風をまとう鳥居も、目に焼き付けた数分間のそれらを大切に抱えようとしていたが、飲みかけのペットボトルとともに落としてしまった。草の根に入ったほす、という音の二秒…

短編「全」

全 夢寐、或いは、陶酔。許容と否認、掌握と投擲、或いはまた、辿ること。押してから撫でること。辞書の中で生きているようだ、と朋子は思い、泡の嘆息をもらした。此処は海底、言葉の深淵。酸素が吸えず苦しくて、胸の辺り、服をギュッと掴んだ。 何に触れ…

擱筆「未知のアンサー」

タイトルを掲げてから約三週間、とてもじゃないが、書けなくなった。何を表現したいのかも、よくわからなくなった。芸術家においては、そんな理由で断念にするなんてよくあることだ。だが僕は無念でならない。 美しい言葉を散りばめた。未完成のままだが、失…

詩「不足」

不足 憎むものが 多すぎて 愛するものが 少なくて私は 呼吸を詰まらせた酸素は愛 酸素不足世界は何でできている?って ずっとずっと気になってたのわかった時に 私は息の 嘘に気づいた 理解した憎しみはどれだけ遠くても 近くに見えて 見えてしまって 愛しさ…

短編「嫉妬心」

嫉妬心 「大きな半月ね」 握り潰されたような心臓の感覚にわずかにのけ反って、浩史は眠気で膠着していた視線を少しずつ左に向けた。白っぽい月明かりに照らされた優布子の静かな横顔は、何も語らずに、漂う暗夜を溶かしていた。 艷を揺らす黒の睫毛は薄いま…

薄字の題名

文章、あぁ。 止めることは容易くて、継続することもまた、容易い。たった、それだけだったなら。生まれる時代を間違えなければ、僕は紙と鉛筆を持って、地球の底に溺れるだけだったろう。それがどんなに美しい史実となったか。誰にも知られない、淋しくて嬉…