インクと爪跡

不器用にあつめた刹那の花束

おすすめ小説

短編「虹」

虹 怒りが熱を持つと知った、視界の揺らぎ。嘲笑が神経を冷ますと解した、指先の痺れ。屋根の先まで平行な空は、鈍色に重くたわんでいる。今にも亀裂が走り、質量のある何かを注ぎ落としそうなほどに。同じ影を纏った生ぬるい南風が膝を撫でて、ややあって頬…

短編「狐の嫁入り」

狐の嫁入り 高低不ぞろいの苔むす石段も、その隙間に膨れていた山蛭の死体も、儼乎な威風をまとう鳥居も、目に焼き付けた数分間のそれらを大切に抱えようとしていたが、飲みかけのペットボトルとともに落としてしまった。草の根に入ったほす、という音の二秒…

短編「窃盗犯」

短編「窃盗犯」 左足を強く打ちつけたが愚図ついている場合ではない。信乃は大股を開いて地面に手を付き体勢を整えると、すぐに下り道を疾走した。ワイドを映していたテレビの大音量が耳朶を揺らす、心拍を脅かす。呼吸が切れ切れになってそれが耳からとれて…

短編「明星」

短編「明星」 天井に穴を開けようと試みたが、脚立に乗っても手はおろか、針の先端さえ届かなかった。桃子は慎重に床に足を着き、母の裁縫箱に針をそっと戻して、自分の胸の辺りまで高さがある重い脚立を物置まで必死に引きずりながら、さて次はどうしようか…

厳選・短編八作品

ご閲覧ありがとうございます。 今まで書いた小説を厳選し、短編八作品を選びました。これを押さえておけばだいたい僕の作風を知れます笑。 では、お好きなものから、ごゆっくりどうぞ。 1 短編「早朝」 2 短編「十五」 3 短編「時間」 4 短編「新湯」 5 短編…

短編「目糞」

短編「目糞」 駐車場から坂の上を振り向けば、連なる山々には煙雨が立っている。雲の流れに沿ってひだ状に濃淡を織りなす自然の陰影は、明るさがなくともくっきり見える。頂は薄暗く、すべり落ちるほど鮮やかに爛れる。ジャンパーのポケットに片手を突っ込み…

短編「夢寐」

短編「夢寐」 揺蕩う意識の水面に重たい石の嘆息を落とし、浮かび上がってきた泡沫の声。隼は純白のシーツをこぶしの影で汚していることに気付かない様子で、掴む力をいっそう強くし鼻を鳴らした。ブタみたい、と頼子は思った。実際、呟いたらなにもかもが消…

短編「令和」

短編「令和」 風に舞う桜の花弁を追いかけた野良猫が、立ち止まった先はバス停だった。やがて軽やかな一台が跳ねてきて、親切な運転手は停車をした。 「お客様~、ご乗車しませんか」 野良猫は大きな声のアナウンスに驚いて、近くの茂みに隠れた。そしてバス…

短編「勾配」

短編「勾配」 途中、まだ灯りのついている小さなたこ焼きの店に寄って道を聞いた。やはり線路を伝って駅を左に曲がり、すぐに道路を渡って左へ、それから住宅街に入っていくと言う。観光案内所と大きく書かれた看板の、古い建物が目印だと店先の女は東に言い…

【ご依頼作品】短編「感触」

ご依頼作品です。許可を頂きましたので公開します。 テーマは「会話」です。この度はありがとうございました。 短編「感触」 死に際までの幾星霜。呼吸が止まる少し前。たとえば目を閉じ俯いたまま「それ取って」と言って、醤油のびんや、箱に入ったお菓子や…