インクと爪跡

不器用にあつめた刹那の花束

短編「夢寐」

短編「夢寐」


 揺蕩う意識の水面に重たい石の嘆息を落とし、浮かび上がってきた泡沫の声。隼は純白のシーツをこぶしの影で汚していることに気付かない様子で、掴む力をいっそう強くし鼻を鳴らした。ブタみたい、と頼子は思った。実際、呟いたらなにもかもが消えてしまうから、そう思うだけで音波にはしない。溜め込んだ二酸化炭素を大きく吐いたが、隼はただ電灯のほのかな蛍光色に溶け込んでいるばかりだった。
 漆黒の睫毛は乾いたまぶたと涙袋をていねいに縫って、薄い唇の隙間からは、前歯がぬらついて覗いている。芝のような眉、なだらかな鼻。一切は造形のまにまに、呼吸に合わせて動いている。頼子は目が痛くなるまでまばたきもせずにじっと見つめ、それから静かに立ち上がった。狭い部屋の壁に薄暗い後ろ姿が伸びた。
 泥の中にいる眠り姫は、どんな夢を見ているのだろう。頼子はテーブルに腰掛けて、布団に埋もれる隼を見下ろす。いつも考えるのだった。話しかけても、頬をつねっても、背中を覆っても反応がない。よく晴れた日の散歩道で、隼は病気だと笑っていた。眠ってしまう、病気なのだと。
 いつからか、物音を立てないように、身体的な反射を落ち着かせるように、気をつけながら生活するようになった。しかし時おり、寂しさを抑えられなくなってわざと行動を取る。そんな場合に限って隼は起きない。愛しさが増すだけの一瞬である。
 隼はいびきをかき始めた。柔らかくかぶさった布団が、膨らんで、萎む。頼子はその動きをいつまでも眺めていたいと思った。もうそろそろ食事を作らなければならなかった。












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ナルコレプシー(過眠症)の男性とおつきあいをしている女性のお話です。夢寐とは、眠って夢を見ている間のこと。